古典を読もう - 大學の八回目は、「伝之七章」(第七章)です。
傳之七章
原 文
所謂。脩身在正其心者。身有所忿?。則不得其正。有所恐懼。則不得其正。有所好樂。則不得其正。有所憂患。則不得其正。
心不在焉。視而不見。聽而不聞。食而不知其味。
此謂脩身在正其心。
右傳之七章。釋正心脩身。
読 み
伝(でん)の七章(ななしょう)
所謂(いわゆる)、身(み)を修(おさ)むるは其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくするに在(あ)りとは、身(み)忿?(ふんち)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。恐懼(きょうく)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。好楽(こうごう)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。憂患(ゆうかん)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。
心(こころ)焉(ここ)に在(あ)らざれば、視(み)れども見(み)えず。聴(き)けども聞(き)こえず。食(く)えども其(そ)の味(あじ)わいを知(し)らず。
此(こ)れを身(み)を修(おさ)むるは其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくするに在(あ)りと謂(い)うなり。
右(みぎ)伝(でん)の七章(ななしょう)は、心(こころ)を正(ただ)しくし、身(み)を修(おさ)むることを釈(と)く。
所謂(いわゆる)、身(み)を修(おさ)むるは其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくするに在(あ)りとは、身(み)忿?(ふんち)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。恐懼(きょうく)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。好楽(こうごう)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。憂患(ゆうかん)する所(ところ)有(あ)るときは、則(すなわ)ち其(そ)の正(ただ)しきを得(え)ず。
心(こころ)焉(ここ)に在(あ)らざれば、視(み)れども見(み)えず。聴(き)けども聞(き)こえず。食(く)えども其(そ)の味(あじ)わいを知(し)らず。
此(こ)れを身(み)を修(おさ)むるは其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくするに在(あ)りと謂(い)うなり。
右(みぎ)伝(でん)の七章(ななしょう)は、心(こころ)を正(ただ)しくし、身(み)を修(おさ)むることを釈(と)く。
0 件のコメント:
コメントを投稿