2010年11月5日金曜日

古典を読もう - 大學(伝之三章)

古典を読もう - 大學(伝之三章)

古典を読もう - 大學の四回目は、「伝之三章」(第三章)です。



傳之三章

原 文

詩云。邦畿千里。惟民所止。

詩云。緡蠻黄鳥。止于丘隅。子曰。於止知其所止。可以人而不如鳥乎。

詩云。穆穆文王於緝熈敬止。爲人君止於仁。爲人臣止於敬。爲人子止於孝。爲人父止於慈。與國人交止於信。

詩云。瞻彼淇澳。菉竹猗猗。有斐君子。如切如磋如琢如磨。瑟兮僩兮。赫兮喧兮。有斐君子。終不可諠兮。如切如磋者道學也。如琢如磨者自脩也。瑟兮僩兮者恂慄也。赫兮喧兮者威儀也。有斐君子。終不可諠兮者。道盛德至善民之不能忘也。

詩云。於戲前王不忘。君子賢其賢。而親其親。小人樂其樂。而利其利。此以沒世不忘也。

右傳之三章。釋止於至善。


読 み

(でん)の三章(さんしょう)

(し)に云(い)う、「邦畿千里(ほうきせんり)は惟(こ)れ民(たみ)の止(とど)まる所(ところ)」と。

(し)に云(い)う、「緡蠻(めんばん)たる黄鳥(こうちょう)は、丘隅(きゅうぐう)に止(とど)まる」と。子(し)(いわ)く、「止(とど)まるに於(お)いて其(そ)の止(とど)まる所(ところ)を知(し)る。人(ひと)を以(もつ)て鳥(とり)に如(し)かざる可(べ)けんや」と。

(し)に云(い)う、「穆穆(ぼくぼく)たる文王(ぶんおう)、於(ああ)、緝煕(しゅうき)にして敬(けい)して止(とど)まる」と。人(ひと)の君(きみ)と為(な)りては仁(じん)に止(とど)まり、人(ひと)の臣(しん)と為(な)りては敬(けい)に止(とど)まり、人(ひと)の子(こ)と為(な)りては孝(こう)に止(とど)まり、人(ひと)の父(ちち)と為(な)りては慈(じ)に止(とど)まり、国人(こくじん)と交(まじ)わりては信(しん)に止(とど)まる。

(し)に云(い)う、「彼(か)の淇澳(きいく)を瞻(み)れば、菉竹(りょくちく)猗猗(いい)たり。斐(ひ)たる君子(くんし)(あ)り。切(せつ)するが如(ごと)く、磋(さ)するが如(ごと)く、琢(たく)するが如(ごと)く、磨(ま)するが如(ごと)し。瑟(しつ)たり僩(かん)たり。赫(かく)たり喧(けん)たり。斐(ひ)たる君子(くんし)(あ)り、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からず」と。切(せつ)するが如(ごと)く、磋(さ)するが如(ごと)しとは、学(がく)を道(い)うなり。琢(たく)するが如(ごと)く、磨(ま)するが如(ごと)しとは、自(みずか)ら修(おさ)むるなり。瑟(しつ)たり僩(かん)たりとは、恂慄(しゅんりつ)なり。赫(かく)たり喧(けん)たりとは、威儀(いぎ)あるなり。斐(ひ)たる君子(くんし)(あ)り、終(つい)に諠(わす)る可(べ)からずとは、盛徳至善(せいとくしぜん)にして民(たみ)の忘(わす)るること能(あた)わざるを道(い)うなり。

(し)に云う、「於戯(ああ)、前王(ぜんおう)(わす)れず」と。君子(くんし)は其(そ)の賢(けん)を賢(けん)として、其(そ)の親(しん)を親(しん)として、小人(しょうじん)は其(そ)の楽(たの)しみを楽(たの)しみとして、其(そ)の利(り)を利(り)とす。此(ここ)を以(もつ)て世(よ)を没(ぼつ)するまで忘(わす)れざるなり。

(みぎ)(でん)の三章(さんしょう)は、至善(しぜん)に止(とど)まることを釈(と)く。

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