2010年11月15日月曜日

古典を読もう - 大學(伝之五章)

古典を読もう - 大學(伝之五章)

古典を読もう - 大學の六回目は、「伝之五章」(第五章)です。



傳之五章

原 文



此謂知本。

此謂知之至也。

右傳之五章。蓋釋格物致知之義而今亡矣。

間嘗竊取程子之意。以補之曰。所謂。致知在格物者。言欲致吾之知在卽物而窮其理也。蓋人心之靈。莫不有知。而天下之物。莫不有理。惟於理有未窮。故其知有不盡也。是以大學始教。必使學者卽凡天下之物莫不因其已知之理而益窮之以求至乎其極。至於用力之久而一旦豁然貫通焉。則衆物之表裏精粗。無不到。而吾心之全體大用無不明矣。此謂物格。此謂知之至也。


読 み

(でん)の五章(ごしょう)

(こ)れを本(もと)を知(し)ると謂(い)う。

(こ)れを知(ち)の至(いた)ると謂(い)うなり。

(みぎ)(でん)の五章(ごしょう)は、蓋(けだ)し格物致知(かくぶつちち)の義(ぎ)を釈(と)きしも、今(いま)は亡(ほろ)べり。

(このご)ろ嘗(こころみ)に竊(ひそか)に程子(ていし)の意(い)を取(と)りて以(もつ)て之(これ)を補(おぎな)いて曰(いわ)く、所謂(いわゆる)、知(ち)を致(いた)すは、物(もの)に格(いた)る在(あ)りとは、吾(われ)の知(ち)を致(いた)さんと欲(ほつ)すれば、物(もの)に即(つ)きて其(そ)の理(り)を窮(きわ)むるに在(あ)りと言(い)うなり。蓋(けだ)し人心(じんしん)の霊(れい)、知(ち)(あ)らざるこ莫(な)し。而(しこう)して天下(てんか)の物(もの)、理(り)(あ)らざること莫(な)し。惟(た)だ理(り)に於(お)いて未(いま)だ窮(きわ)めざること有(あ)り。故(ゆえ)に其(そ)の知(ち)(つ)くさざること有(あ)り。是(ここ)を以(もつ)て大学(だいがく)の始(はじ)めの教(おし)えは、必(かなら)ず学者(がくしゃ)をして凡(およ)そ天下(てんか)の物(もの)に即(つ)きて、其(そ)の已(すで)に知(ち)の理(り)に因(よ)りて、益(ます)ます之(これ)を窮(きわ)めて以(もつ)て其(そ)の極(きょく)に至(いた)ることを求(もと)めざること莫(な)からしむ。力(ちから)を用(もち)いることの久(ひさ)しくして一旦豁然(いつたんかつぜん)として貫通(かんつう)するに至(いた)りては、則(すな)ち衆物(しゅうぶつ)の表裏精粗(ひょうりせいそ)、到(いた)らざること無(な)し。而(しこう)して吾(わ)が心(こころ)の全体大用(ぜんたいたいよう)(あき)らかならずということ無(な)し。此(こ)れを物(もの)(いた)ると謂(い)い、此(こ)れを知(ち)の至(いた)ると謂(い)うなり。

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