2010年11月19日金曜日

論語(学而第一)

古典を読もう - 論語(学而第一)

古典を読もう - いよいよ論語に着手します。



論語について

『論語』とは、中国古典の書名で、四書(大學、中庸、論語、孟子)のなかのひとつです。「西の聖書、東の論語」、「宇宙第一の書」など多くの呼び名が付けられる程のベストセラーです。最近では、ビジネスの指南書としても多く取り上げられているようです。

『論語』という書物は、孔子と彼の弟子たちの言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物です。論語自体は十巻二十編からなる書物です。

緒 言
  • 本Webページでは、国立国会図書館 近代デジタルライブラリーに収蔵されている『四書集註 袖珍』(東京:富田文陽堂,明43.3)を底本としました。
  • 底本の誤字、脱字、読みなど誤りと思われる部分は他の資料を参考に改めました。
  • ここでは、原文と訓読のみを掲載することとして、字義については解説していません。詳しい解説については、多くの書籍が市販(参考までに二三種類の本を紹介しておきます。)されていますので、そちらの方をお読みください。
    • 『論語新釈』 宇野哲人 著(講談社学術文庫)
    • 『論語』 金谷治 翻訳(岩波文庫)
    • 『論語(上・下)—中国古典選』 吉川幸次郎 著(朝日選書)
  • 漢字については、訓読では、學=学、處=処など、通行の字体を用いた。ただし、原文の部分は、なるべく底本のままとしました。
  • 特殊な漢字でUTF コードを持っているが、グリフを持たない文字、あるいはコード自体持っていない文字については、似た漢字で代用あるいは記号「?」で表しました。
  • 底本では送り仮名にカタカナを用いていますが、すべて平仮名に改めました。また、なるべく通行の送り仮名にしたつもりですが、誤りがあるかもしれません。

學而第一

原 文

子曰。學而時習之。不亦說乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯上。而好作亂者。未之有也。君子努本。本立而道生。孝弟也者。其爲仁之本與。

子曰。巧言令色鮮矣仁。

曽子曰。吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎。

子曰。道千乗之國。敬事而信。節用而愛人。使民以時。

子曰。弟子入則孝。出則弟。謹而信。汎愛衆而親仁。行有餘力。則以學文。

子夏曰。賢賢易色。事父母能竭其力。事君能致其身。與朋友交言而有信。雖曰未學。吾必謂之學矣。

子曰。君子不重則不威。學則不固。主忠信。無友不如己者。過則勿憚改。

曽子曰。愼終追遠。民德歸厚矣。

子禽問於子貢曰。夫子至於是邦也。必聞其政。求之與。抑與之與。子貢曰。夫子溫良恭儉讓以得之。夫子之求之也。其諸異乎人之求之與。

子曰。父在觀其志。父没觀其行。三年無改於父之道。可謂孝矣。

有子曰。禮之用。和爲貴。先王之道。斯爲美。小大由之。有所不行。知和而和。不以禮節之。亦不可行也。

有子曰。信近於義。言可復也。恭近於禮。遠恥辱也。因不失其親。亦可宗也。

子曰。君子食無求飽。居無求安。敏於事而愼於言。就有道而正焉。可謂好學也已。

子貢曰。貧而無諂。富而無驕。何如。子曰。可也。未若貧而樂。富而好禮者也。子貢曰。詩云。如切如磋。如琢如磨。其斯之謂與。子曰。賜也。始可與言詩已矣。告諸往而知來者。

子曰。不患人之不己知。患不知知人也。

読 み

学而第一(がくじ)

(し)(いわ)く、学(まな)びて時(とき)に之(これ)を習(なら)う。また説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)(あ)り遠方(えんぽう)より来(きた)る。また楽(たの)しからずや。人(ひと)(し)らず而(しか)して慍(いか)らず。また君子(くんし)ならずや。

有子(ゆうし)(いわ)く、その人(ひと)と為(な)りや孝弟(こうてい)にして上(かみ)を犯(おか)すことを好(この)む者(もの)は鮮(すくな)し。上(かみ)を犯(おか)すことを好(この)まずして乱(らん)を作(な)すことを好(この)む者(もの)、未(いま)だこれ有(あ)らざるなり。君子(くんし)、本(もと)を努(つと)む。本(もと)(た)ちて道(みち)(しょう)ず。孝弟(こうてい)なる者(もの)は、それ仁(じん)を為(な)すの本(もと)か。

(し)(いわ)く、巧言令色(こうげんれいしょく)(すくな)し仁(じん)

曽子(そうし)(いわ)く、吾(われ)(ひ)に三(みつ)つ吾(わ)が身(み)を省(かえり)みる。人(ひと)の為(ため)に謀(はか)りて忠(ちゅう)ならざるか。朋友(ほうゆう)と交(まじ)わりて信(しん)ならざるか。伝(つた)えられて習(なら)わざるか。

(し)(いわ)く、千乗(せんじょう)の国(くに)を道(おさ)むるに、事(こと)を敬(けい)して信(しん)。用(よう)を節(せつ)して人(ひと)を愛(あい)し、民(たみ)を使(つか)うに時(とき)を以(もつ)てす。

(し)(いわ)く、弟子(ていし)(い)りては則(すなわ)ち孝(こう)に。出(い)でては則(すなわ)ち弟(てい)に。謹(つつし)んで信(しん)あり。汎(ひろ)く衆(しゅう)を愛(あい)して仁(じん)に親(ちか)づき、行(おこな)って余力(よりょく)(あ)れば、則(すなわ)ち以(もつ)て文(ぶん)を学(まな)ぶ。

子夏(しか)(いわ)く、賢(けん)を賢(けん)として色(いろ)に易(か)え、父母(ふぼ)に事(つか)えて能(よ)く其(そ)の力(ちから)を竭(つく)し、君(きみ)に事(つか)えて能(よ)く其(そ)の身(み)を致(いた)し、朋友(ほうゆう)と交(まじ)わるに言(い)いて信(しん)(あ)らば、未(いま)だ学(まな)ばずと曰(い)うと雖(いえど)も、吾(われ)は必(かなら)ず之(これ)を学(まな)びたりと謂(い)わん。

(し)(いわ)く、君子(くんし)(おも)からざれば則(すなわ)ち威(い)あらず。学(まな)べば則(すなわ)ち固(こ)ならず。忠信(ちゅうしん)を主(しゅ)とし、己(おのれ)に如(し)かざる者(もの)を友(とも)とする無(なか)れ。過(あやま)ちては則(すなわ)ち改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ。

曽子(そうし)(いわ)く、終(お)わりを慎(つつし)み遠(とお)きを追(お)えば、民(たみ)の徳(とく)(あつ)きに帰(き)す。

子禽(しきん)子貢(しこう)に問(と)うて曰(いわ)く、夫子(ふうし)(こ)の邦(くに)に至(いた)るや、必(かなら)ず其(そ)の政(まつりごと)を聞(き)く。之(これ)を求(もと)むるか。抑(そもそも)(これ)を与(あた)うるか。子貢(しこう)(いわ)く、夫子(ふうし)は温良恭倹譲(おんりょうきょうけんじょう)(もつ)て之(これ)を得(え)らる。夫子(ふうし)の之(これ)を求(もと)むるや、其(そ)れ諸(こ)れ人(ひと)の之(これ)を求(もと)むるに異(こと)なるか。

(し)(いわ)く、父(ちち)(いま)せば其(そ)の志(こころざし)を観(み)、父(ちち)(ぼつ)せば其(そ)の行(おこな)いを観(み)る。三年(さんねん)(ちち)の道(みち)を改(あらた)むる無(な)し。孝(こう)と謂(い)う可(べ)し。

有子(ゆうし)(いわ)く、礼(れい)の用(よう)は、和(わ)して貴(たつと)しと為(な)す。先王(せんおう)の道(みち)、斯(これ)を美(び)と為(な)す。小大(しょうだい)(これ)に由(よ)る。行(おこな)われざる所(ところ)(あ)ることは、和(わ)を知(し)って和(わ)すとも、礼(れい)を以(もつ)て之(これ)を節(せつ)せざれば、亦(また)(おこな)う可(べ)からざるなり。

有子(ゆうし)(いわ)く、信(しん)(ぎ)に近(ちか)づけば、言(げん)(ふ)む可(べ)きなり。恭(きょう)(れい)に近(ちか)づけば、恥辱(ちじょく)に遠(とお)ざかるなり。因(よ)ること其(そ)の親(しん)を失(うしな)わざれば、亦(また)(そう)とす可(べ)きなり。

(し)(いわ)く、君子(くんし)(しょく)(あ)くことを求(もと)むる無(な)く、居(きょ)(やす)からんことを求(もと)むる無(な)く、事(こと)に敏(びん)にして言(げん)を慎(つつし)み、有道(ゆうどう)に就(つ)いて正(ただ)すを学(がく)を好(この)むと謂(い)う可(べ)きのみ。

子貢(しこう)(いわ)く、貧(まず)しくして諂(へつら)うこと無(な)く。富(と)みて驕(おご)ること無(な)きは、何如(いか)ん。子(し)(いわ)く、可(か)なり。未(いま)だ貧(まず)しくして楽(たの)しみ、富(と)みて礼(れい)を好(この)む者(もの)には若(し)かざるなり。子貢(しこう)(いわ)く、詩(し)に云(い)う。切(き)るが如(ごと)く、磋(みが)くが如(ごと)く、琢(う)つが如(ごと)く、磨(と)するが如(ごと)く、其(そ)れ斯(こ)れを之(こ)れ謂(い)うか。子(し)(いわ)く、賜(し)や。始(はじ)めて与(とも)に詩(し)を言(い)う可(べ)きのみ。諸(こ)れに往(おう)を告(つ)げて来(らい)を知(し)る者(もの)なり。

(し)(いわ)く、人(ひと)の己(おのれ)を知(し)らざるを患(うれ)えず。人(ひと)を知(し)らざるを患(うれ)うなり。

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