2010年12月24日金曜日

古典を読もう - 論語(雍也第六)

古典を読もう - 論語(雍也第六)

論語(6)は、「雍也第六」です。



雍也第六

原 文

子曰。雍也可使南面。仲弓問子桑伯子。子曰。可也簡。仲弓曰。居敬而行簡。以臨其民。不亦可乎。居簡而行簡。無乃大簡乎。子曰。雍之言然。

哀公問。弟子孰爲好學。孔子對曰。有顏囘者。好學。不遷怒。不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也。

子華使於齊。冉子爲其母請粟。子曰。與之釜。請益。曰。與之庾。冉子與之粟五秉。子曰。赤之適齊也。乘肥馬。衣輕裘。吾聞之也。君子周急。不繼富。原思爲之宰。與之粟九百辭。子曰。毋。以與爾鄰里郷黨乎。

子謂仲弓曰。犁牛之子。騂且角。雖欲勿用。山川其舍諸。

子曰。囘也。其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣。

季康子問。仲由可使從政也與。子曰。由也果。於從政乎何有。曰。賜也可使從政也與。曰。賜也達。於從政乎何有。曰。求也可使從政也與。曰。求也藝。於從政乎何有。

季氏使閔子騫爲費宰。閔子騫曰。善爲我辭焉。如有復我者。則吾必在汶上矣。

伯牛有疾。子問之。自牖執其手。曰。亡之。命矣夫。斯人也而有斯疾也。斯人也而有斯疾也。

子曰。賢哉囘也。一簞食。一瓢飮。在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也。

冉求曰。非不說子之道。力不足也。子曰。力不足者。中道而廢。今女畫。

子謂子夏曰。女爲君子儒。無爲小人儒。

子游爲武城宰。子曰。女得人焉爾乎。曰。有澹臺滅明者。行不由徑。非公事。未嘗至於偃之室也。

子曰。孟之反不伐。奔而殿。將入門。策其馬曰。非敢後也。馬不進也。

子曰。不有祝鮀之佞。而有宋朝之美。難乎免於今之世矣。

子曰。誰能出不由戶。何莫由斯道也。

子曰。質勝文則野。文勝質則史。文質彬彬。然後君子。

子曰。人之生也直。罔之生也。幸而免。

子曰。知之者。不如好之者。好之者。不如樂之者。

子曰。中人以上。可以語上也。中人以下。不可以語上也。

樊遲問知。子曰。務民之義。敬鬼神而遠之。可謂知矣。問仁。曰。仁者先難而後獲。可謂仁矣。

子曰。知者樂水。仁者樂山。知者動。仁者靜。知者樂。仁者壽。

子曰。齊一變。至於魯。魯一變。至於道。

子曰。觚不觚。觚哉。觚哉。

宰我問曰。仁者雖告之曰井有仁焉。其從之也。子曰。何爲其然也。君子可逝也。不可陷也。可欺也。不可罔也。

子曰。君子博學於文。約之以禮。亦可以弗畔矣夫。

子見南子。子路不說。夫子矢之曰。予所否者。天厭之。天厭之。

子曰。中庸之爲德也。其至矣乎。民鮮久矣。

子貢曰。如有博施於民。而能濟衆。何如。可謂仁乎。子曰。何事於仁。必也聖乎。堯舜其猶病諸。夫仁者。己欲立而立人。己欲達而達人。能近取譬。可謂仁之方也已。

論語巻之三 終

読 み

雍也第六(ようや)

(し)(いわ)く。雍(よう)は南面(なんめん)せしむ可(べ)し。仲弓(ちゅうきゅう)、子桑伯子(しそうはくし)を問(と)う。子(し)(いわ)く。可(か)なり、簡(かん)なり。仲弓(ちゅうきゅう)(いわ)く。敬(けい)に居(い)て簡(かん)を行(おこな)い、以(もつ)て其(そ)の民(たみ)に臨(のぞ)む。亦(また)(か)ならずや。簡(かん)に居(い)て簡(かん)を行(おこな)う。乃(すなわ)ち大簡(たいかん)なる無(な)からんか。子(し)(いわ)く。雍(よう)の言(げん)(しか)り。

哀公(あいこう)(と)う。弟子(ていし)(た)れか学(がく)を好(この)むと為(な)す。孔子(こうし)(こた)えて曰(いわ)く。顏回(がんかい)なる者(もの)(あ)り。学(がく)を好(この)む。怒(いか)りを遷(うつ)さず。過(あやま)ちを弐(ふた)たびせず。不幸短命(ふこうたんめい)にして死(し)す。今(いま)は則(すなわ)ち亡(な)し。未(いま)だ学(がく)を好(この)む者(もの)を聞(き)かざるなり。

子華(しか)、斉(せい)に使(つか)いす。冉子(ぜんし)、其(そ)の母(はは)の為(ため)に粟(ぞく)を請(こ)う。子(し)(いわ)く。之(これ)に釜(ふ)を与(あた)えよ。益(えき)を請(こ)う。曰(いわ)く。之(これ)に庾(ゆ)を与(あた)えよ。冉子(ぜんし)、之(これ)に粟(ぞく)五秉(ごへい)を与(あた)う。子(し)(いわ)く。赤(せき)の斉(せい)に適(い)くや、肥馬(ひば)に乗(の)り、軽裘(けいきゅう)を衣(き)たり。吾(わ)れ之(これ)を聞(き)く。君子(くんし)(きゅう)を周(すく)いて富(と)めるに継(つ)かず。原思(げんし)(これ)が宰(さい)と為(な)る。之(これ)に粟(ぞく)九百(きゅうひゃく)を与(あた)う、辞(じ)す。子(し)(いわ)く。毋(なか)れ以(もつ)て爾(なんじ)が隣里(りんり)郷党(きょうとう)に与(あた)えんか。

(し)、仲弓(ちゅうきゅう)を謂(いつ)て曰(いわ)く。犁牛(りぎゅう)の子(こ)。騂(あか)くして且(か)つ角(つの)あらば、用(もち)うること勿(なか)らんと欲(ほつ)すと雖(いえ)ども、山川(さんせん)(そ)れ諸(これ)を舍(すて)んや。

(し)(いわ)く。回(かい)は其(そ)の心(こころ)三月(さんげつ)(じん)に違(たが)わず。其(そ)の余(よ)は則(すなわ)ち日(ひ)に月(つき)に至(いた)るのみ。

季康子(きこうし)(と)う。仲由(ちゅうゆう)(まつりごと)に従(したが)わしむ可(べ)きか。子(し)(いわ)く。由(ゆう)は果(か)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いて何(なに)か有(あ)らん。曰(いわ)く。賜(し)は政(まつりごと)に従(したが)わしむ可(べ)きか。曰(いわ)く。賜(し)は達(たつ)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いて何(なに)か有(あ)らん。曰(いわ)く。求(きゅう)は政(まつりごと)に従(したが)わしむ可(べ)きか。曰(いわ)く。求(きゅう)は芸(げい)なり。政(まつりごと)に従(したが)うに於(お)いて何(なに)か有(あ)らん。

季氏(きし)、閔子騫(びんしけん)を費(ひ)の宰(さい)と為(な)さしむ。閔子騫(びんしけん)(いわ)く。善(よ)く我(わが)(ため)に辞(じ)せよ。如(も)し我(われ)を復(ふく)する者(もの)(あ)らば、則(すなわ)ち吾(わ)れ必(かなら)ず汶(ぶん)の上(ほとり)に在(あ)らん。

伯牛(はくぎゅう)(やまい)(あ)り。子(し)(これ)を問(と)いて、窓(まど)より其(そ)の手(て)を執(と)りて曰(いわ)く。之(これ)を亡(うしな)わん命(めい)なるか。斯(こ)の人にして斯(こ)の疾(やまい)(あ)り。斯(こ)の人(ひと)にして斯(こ)の疾(やまい)(あ)り。

(し)(いわ)く。賢(けん)なるかな回(かい)。一簞(いつたん)の食(し)。一瓢(いつぴょう)の飲(いん)。陋巷(ろうこう)に在(あ)りて、人(ひと)は其(そ)の憂(うれ)いに堪(た)えず。回(かい)は其(そ)の楽(たの)しみを改(あらた)めず。賢(けん)なるかな回(かい)

冉求(ぜんきゅう)(いわ)く。子(し)の道(みち)を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず。力(ちから)(た)らざるなり。子(し)(いわ)く。力(ちから)(た)らざる者(もの)、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今(いま)(なん)じ画(かぎ)れり。

(し)、子夏(しか)に謂(いつ)て曰(いわ)く。女(なん)じ君子(くんし)の儒(じゅ)と為(な)れ。小人(しょうじん)の儒(じゅ)と為(な)ること無(な)かれ。

子游(しゆう)、武城(ぶじょう)の宰(さい)と為(な)る。子(し)(いわ)く。女(なん)じ人(ひと)を得(え)たりや。曰(いわ)く。澹台滅明(たんだいめつめい)なる者(もの)(あ)り。行(ゆ)くに径(みち)に由(よ)らず、公事(こうじ)に非(あら)ざれば、未(いま)だ嘗(かつ)て偃(えん)の室(しつ)に至(いた)らざるなり。

(し)(いわ)く。孟之反(もうしはん)(ほこ)らず。奔(はし)りて殿(でん)し、将(まさ)に門(もん)に入(い)らんとす。其(そ)の馬(うま)に策(むち)うちて曰(いわ)く。敢(あえ)て後(おく)るるに非(あら)ず。馬(うま)(すす)まざればなり。

(し)(いわ)く。祝鮀(しゅくだ)の佞(ねい)(あ)りて、宋朝(そうちょう)の美(び)(び)らざれば、難(かた)いかな。今(いま)の世(よ)に免(まぬが)れんこと。

(し)(いわ)く。誰(たれ)か能(よ)く出(い)づるに戸(こ)に由(よ)らざらん。何(なん)ぞ斯(こ)の道(みち)に由(よ)ること莫(な)き。

(し)(いわ)く。質(しつ)、文(ぶん)に勝(まさ)るは則(すなわ)ち野(や)なり。文(ぶん)、質(しつ)に勝(まさ)るは則(すなわ)ち史(し)なり。文(ぶん)(しつ)彬彬(ひんびん)として、然(しか)して後(のち)君子(くんし)なり。

(し)(いわ)く。人(ひと)の生(せい)は直(ちょく)なり。之(これ)を罔(な)いて生(い)きるは、幸(さいわ)いにして免(まぬが)るるなり。

(し)(いわ)く。之(これ)を知(し)る者(もの)、之(これ)を好(この)む者(もの)に如(し)かず。之(これ)を好(この)む者(もの)は、之(これ)を楽(たの)しむ者(もの)に如(し)かず。

(し)(いわ)く。中人(ちゅうじん)以上(いじょう)は、以(もつ)て上(じょう)を語(つ)ぐる可(べ)し。中人(ちゅうじん)以下(いか)は、以(もつ)て上(じょう)を語(つ)ぐる可(べ)からざるなり。

樊遅(はんち)、知(ち)を問(と)う。子(し)(いわ)く。民(たみ)の義(ぎ)を務(つと)め、鬼神(きしん)を敬(けい)して之(これ)を遠(とお)ざける。知(ち)と謂(い)う可(べ)し。仁(じん)を問(と)う。曰(いわ)く。仁(じん)は難(かた)きを先(さき)んじて獲(う)るを後(あと)にす。仁(じん)と謂(い)う可(べ)し。

(し)(いわ)く。知者(ちしゃ)は水(みず)を楽(たの)しむ。仁者(じんしゃ)は山(やま)を楽(たの)しむ。知者(ちしゃ)は動(うご)き、仁者(じんしゃ)(しず)かなり。知者(ちしゃ)は楽(たの)しみ。仁者(じんしゃ)寿(いのち)ながし。

(し)(いわ)く。斉(せい)(ひと)たび変(へん)せば、魯(ろ)に至(いた)らん。魯(ろ)(ひと)たび変(へん)せば、道(みち)に至(いた)らん。

(し)(いわ)く。觚(こ)、觚(こ)ならず。觚(こ)ならんや。觚(こ)ならんや。

宰我(さいが)(と)うて曰(いわ)く。仁者(じんしゃ)(これ)に告(つ)げて井(せい)に仁(じん)(あ)りと曰(い)うと雖(いえ)ども、其(そ)れ之(これ)に従(したが)わんや。子(し)(いわ)く。何為(なんす)れぞ、其(そ)れ然(しか)らん。君子(くんし)は逝(ゆ)かしむ可(べ)きも、陷(おとし)いる可(べ)からず。欺(あざむ)く可(べ)きも罔(し)う可(べ)からず。

(し)(いわ)く。君子(くんし)は博(ひろ)く文(ぶん)を学(まな)び、之(これ)を約(やく)するに礼(れい)を以(もつ)てす。亦(また)(もつ)て畔(そむ)かざる可(べ)きか。

(し)、南子(なんし)を見(まみ)ゆ。子路(しろ)(よろこ)ばず。夫子(ふうし)(これ)を矢(ちこ)うて曰(いわ)く。予(よ)が否(ひ)とする所(ところ)の者(もの)は、天(てん)(これ)を厭(た)たん。天(てん)(これ)を厭(た)たん。

(し)(いわ)く。中庸(ちゅうよう)の徳(とく)たる、其(そ)れ至(いた)れるか。民(たみ)(すくな)きこと久(ひさ)し。

子貢(しこう)(いわ)く。如(も)し博(ひろ)く民(たみ)に施(ほどこ)して、能(よ)く衆(しゅう)を済(すく)うこと有(あ)らば、何如(いかん)。仁(じん)と謂(い)う可(べ)きや。子(し)(いわ)く。何(なん)ぞ仁(じん)を事(こと)とせんや。必(かなら)ずや聖(せい)か。堯舜(ぎょうしゅん)も其(そ)れ猶(なお)(これ)を病(や)めり。夫(そ)れ仁者(じんしゃ)は、己(おのれ)(た)つと欲(ほつ)して人(ひと)を立(た)つ。己(おのれ)(たつ)せんと欲(ほつ)して人(ひと)を達(たつ)す。能(よ)く近(ちか)く譬(たとえ)を取(と)る。仁(じん)の方(ほう)と謂(い)う可(べ)きのみ。

論語(ろんご)、巻(かん)の三(さん) 終(お)わり

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