2010年12月10日金曜日

古典を読もう - 論語(里仁第四)

古典を読もう - 論語(里仁第四)

論語(4)は、「里仁第四」です。



里仁第四

原 文

子曰。里仁爲美。擇不處仁。焉得知。

子曰。不仁者。不可以久處約。不可以長處樂。仁者安仁。知者利仁。

子曰。惟仁者能好人。能惡人。

子曰。苟志於仁矣。無惡也。

子曰。富與貴。是人之所欲也。不以其道得之。不處也。貧與賤。是人之所惡也。不以其道得之。不去也。君子去仁。惡乎成名。君子無終食之閒違仁。造次必於是。顚沛必於是。

子曰。我未見好仁者。惡不仁者。好仁者。無以尙之。惡不仁者。其爲仁矣。不使不仁者加乎其身。有能一日用其力於仁矣乎。我未見力不足者。蓋有之矣。我未之見也。

子曰。人之過也。各於其黨。觀過。斯知仁矣。

子曰。朝聞道。夕死可矣。

子曰。士志於道。而恥惡衣惡食者。未足與議也。

子曰。君子之於天下也。無適也。無莫也。義之與比。

子曰。君子懷德。小人懷土。君子懷刑。小人懷惠。

子曰。放於利而行。多怨。

子曰。能以禮讓爲國乎。何有。不能以禮讓爲國。如禮何。

子曰。不患無位。患所以立。不患莫己知。求爲可知也。

子曰。參乎。吾道一以貫之。曾子曰。唯。子出。門人問曰。何謂也。曾子曰。夫子之道。忠恕而已矣。

子曰。君子喩於義。小人喩於利。

子曰。見賢思齊焉。見不賢而内自省也。

子曰。事父母幾諫。見志不從。又敬不違。勞而不怨。

子曰。父母在。不遠遊。遊必有方。

子曰。三年無改於父之道。可謂孝矣。

子曰。父母之年。不可不知也。一則以喜。一則以懼。

子曰。古者言之不出。恥躳之不逮也。

子曰。以約失之者。鮮矣。

子曰。君子欲訥於言而敏於行。

子曰。德不孤。必有鄰。

子游曰。事君數。斯辱矣。朋友數。斯疏矣。

論語巻之二 終

読 み

里仁第四(りじん)

(し)(いわ)く。里(り)は仁(じん)を美(び)と為(な)す。択(えら)びて仁(じん)に処(お)らざれば、焉(いずく)んぞ知(し)るを得(え)ん。

(し)(いわ)く。不仁者(ふじんしゃ)は以(もつ)て久(ひさ)しく約(やく)に処(お)る可(べ)からず。以(もつ)て長(なが)く楽(たの)しみに処(お)る可(べ)からず。仁者(じんしゃ)は仁(じん)に安(やす)んじ、知者(ちしゃ)は仁(じん)を利(り)す。

(し)(いわ)く。惟(た)だ仁者(じんしゃ)は能(よ)く人(ひと)を好(この)み、能(よ)く人(ひと)を悪(にく)む。

(し)(いわ)く。苟(まこと)に仁(じん)に志(こころざ)せば悪(あ)しきこと無(な)し。

(し)(いわ)く。富(ふ)と貴(き)と、是(こ)れ人(ひと)の欲(ほつ)する所(ところ)なり。其(そ)の道(みち)を以(もつ)てせず之(これ)を得(え)れば処(お)らざるなり。貧(ひん)と賎(せん)と、是(こ)れ人(ひと)の悪(にく)む所(ところ)なり。其(そ)の道(みち)を以(もつ)てせず之(これ)を得(え)れば去(さ)らざるなり。君子(くんし)(じん)を去(さ)らば、悪(いづく)にか名(な)を成(な)さん。君子(くんし)は終食(しゅうしょく)の間(あいだ)も仁(じん)を違(たが)うこと無(な)し。造次(ぞうじ)にも是(ここ)に於(お)いてし、顛沛(てんぱい)にも必(かなら)ず是(ここ)に於(お)いてす。

(し)(いわ)く。我(われ)(いま)だ仁(じん)を好(この)む者(もの)、不仁(ふじん)を悪(にく)む者(もの)を見(み)ず。仁(じん)を好(この)む者(もの)は、以(もつ)て之(これ)に尙(くわ)うること無(な)く、不仁(ふじん)を悪(にく)む者(もの)は、其(そ)の仁(じん)を為(な)すや。不仁者(ふじんしゃ)をして其(そ)の身(み)に加(くわ)えしめず。能(よ)く一日(いちにち)も其(そ)の力(ちから)を仁(じん)に用(もち)いること有らんか。我(われ)(いま)だ力(ちから)(た)らざる者(もの)を見ず(み)。蓋(けだ)し之(これ)(あ)らん。我(われ)(いま)だ之(これ)を見(み)ざるなり。

(し)(いわ)く。人(ひと)の過(あやま)ちは、各(おのおの)(そ)の党(とう)に於(お)いてす。過(あやま)ちを観(み)て斯(ここ)に仁(じん)を知(し)る。

(し)(いわ)く。朝(あした)に道(みち)を聞(き)きて、夕(ゆう)べに死(し)すとも可(か)なり。

(し)(いわ)く。士(し)、道(みち)に志(こころざ)して、悪衣悪食(あくいあくしょく)を恥(は)づる者(もの)は未(いま)だ与(とも)に議(ぎ)するに足(た)らざるなり。

(し)(いわ)く。君子(くんし)の天下(てんか)に於(お)けるや、適(てき)も無(な)く、莫(ばく)も無(な)きなり。義(ぎ)と之(これ)(とも)に比(したが)う。

(し)(いわ)く。君子(くんし)は徳(とく)を懐(おも)い、小人(しょうじん)は土(ど)を懐(おも)う。君子(くんし)は刑(けい)を懐(おも)い、小人(しょうじん)は恵(めぐ)みを懐(おも)う。

(し)(いわ)く。利(り)に放(よ)りて行(おこな)うは怨(うら)み多(おお)し。

(し)(いわ)く。能(よ)く礼譲(れいじょう)を以(もつ)て国(くに)を為(おさ)めんか。何(なに)か有(あ)らん。能(よ)く礼譲(れいじょう)を以(もつ)て国(くに)を為(おさ)めずば、礼(れい)如何(いかん)せん。

(し)(いわ)く。位(くらい)(な)きを患(うれ)えず。立(た)つ所以(ゆえん)を患(うれ)う。己(おのれ)を知(し)ること莫(な)きを患(うれ)えず。知(し)らざる可(べ)きを為(な)すを求(もと)む。

(し)(いわ)く。参(しん)、吾(わ)が道(みち)(いち)(もつ)て之(これ)を貫(つらぬ)けり。曾子(そうし)(いわ)く。唯(い)と。子(し)(い)づ。門人(もんじん)(と)うて曰(いわ)く。何(なん)の謂(い)いぞや。曾子(そうし)(いわ)く。夫子(ふうし)の道(みち)は、忠恕(ちゅうじょ)のみ。

(し)(いわ)く。君子(くんし)は義(ぎ)に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利(り)に喩(さと)る。

(し)(いわ)く。賢(けん)を見(み)て斉(ひと)しからんことを思(おも)い、不賢(ふけん)を見(み)ては内(うち)に自(みずか)ら省(かえり)みるなり。

(し)(いわ)く。父母(ふぼ)に事(つか)えては幾諫(きかん)す。志(こころざし)の従(したが)わざるを見(み)ては、又(また)(けい)して違(たが)わず。労(ろう)して怨(うら)まず。

(し)(いわ)く。父母(ふぼ)(い)ませば、遠(とお)く遊(あそ)ばず。遊(あそ)ぶこと必(かなら)ず方(ほう)(あ)り。

(し)(いわ)く。三年(さんねん)(ちち)の道(みち)を改(あらた)むること無(な)きを孝(こう)と謂(い)う可(べ)し。

(し)(いわ)く。父母(ふぼ)の年(とし)は、知(し)らざる可(べ)からず。一(いつ)は則(すなわ)ち以(もつ)て喜(よろこ)び。一(いつ)は則(すなわ)ち以(もつ)て懼(おそ)る。

(し)(いわ)く。古者(いにしえ)の言(げん)を之(これ)(いだ)さざるは、身(み)の逮(およ)ばざるを恥(は)じてなり。

(し)(いわ)く。約(やく)を以(もつ)て之(これ)を失(うしな)う者(もの)は鮮(すくな)し。

(し)(いわ)く。君子(くんし)は言(げん)に訥(とつ)にして行(おこな)いに敏(びん)ならんことを欲(ほつ)す。

(し)(いわ)く。徳(とく)(こ)ならず。必(かなら)ず隣(りん)(あ)り。

子游(しゆう)(いわ)く。君(きみ)に事(つか)うるに数(しばしば)すれば、斯(こ)れ辱(はずかし)めらる。朋友(ほうゆう)に数(しばしば)すれば、斯(こ)れ疏(うと)んぜらる。

論語(ろんご)(かん)の二(に) 終(お)わり

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