2010年12月17日金曜日

古典を読もう - 論語(公冶長第五)

古典を読もう - 論語(公冶長第五)

論語(5)は、「公冶長第五」です。



公冶長第五

原 文

子謂公冶長可妻也。雖在縲絏之中。非其罪也。以其子妻之。子謂南容邦有道不廢。邦無道免於刑戮。以其兄之子妻之。

子謂子賤君子哉。若人。魯無君子者。斯焉取斯。

子貢問曰。賜也何如。子曰。女器也。曰。何器也。曰。瑚璉也。

或曰。雍也。仁而不佞。子曰。焉用佞禦人以口給屢憎於人。不知其仁。焉用佞。

子使漆雕開仕。對曰。吾斯之未能信。子說。

子曰。道不行。乘桴浮于海。從我者。其由與。子路聞之喜。子曰。由也好勇過我。無所取材。

孟武伯問。子路仁乎。子曰。不知也。又問。子曰。由也千乘之國。可使治其賦也。不知其仁也。求也何如。子曰。求也千室之邑百乘之家。可使爲之。宰也。不知其仁也。赤也何如。子曰。赤也束帶立於朝。可使與賓客言也。不知其仁也。

子謂子貢曰。女與囘也孰愈。對曰。賜也何敢望囘。囘也聞一以知十。賜也聞一知二。子曰。弗如也。吾與女弗如也。

宰予晝寢。子曰。朽木不可雕也。糞土之牆。不可杇也。於予與何誅。子曰。始吾於人也。聽其言。而信其行。今吾於人也。聽其言而觀其行於予與改是。

子曰。吾未見剛者。或對曰。申棖。子曰。棖也慾。焉得剛。

子貢曰。我不欲人之加諸我也。吾亦欲無加諸人。子曰。賜也。非爾。所及也。

子貢曰。夫子之文章。可得而聞也。夫子之言性與天道。不可得而聞也。

子路有聞。未之能行。唯恐有聞。

子貢問曰。孔文子何以謂之文也。子曰。敏而好學。不恥下問。是以謂之文也。

子謂子產。有君子之道四焉。其行己也恭。其事上也敬。其養民也惠。其使民也義。

子曰。晏平仲善與人交。久而敬之。

子曰。臧文仲居蔡。山節藻梲。何如其知也。

子張問曰。令尹子文。三仕爲令尹無喜色。三已之無慍色。舊令尹之政。必以告新令尹。何如。子曰。忠矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。崔子弑齊君。陳文子有馬十乘。棄而違之。至於他邦。則曰。猶吾大夫崔子也。違之。之一邦。則又曰。猶吾大夫崔子也。違之。何如。子曰。淸矣。曰。仁矣乎。曰。未知。焉得仁。

季文子三思而後行。子聞之曰。再斯可矣。

子曰。寗武子邦有道則知。邦無道則愚。其知可及也。其愚不可及也。

子在陳曰。歸與歸與。吾黨之小子狂簡。斐然成章。不知所以裁之。

子曰。伯夷叔齊。不念舊惡。怨是以希。

子曰。孰謂微生高直。或乞醯焉。乞諸其鄰而與之。

子曰。巧言令色。足恭。左丘明恥之。丘亦恥之。匿怨而友其人。左丘明恥之。丘亦恥之。

顏淵季路侍。子曰。盍各言爾志。子路曰。願車馬衣輕裘。與朋友共。敝之而無憾。顏淵曰。願無伐善。無施勞。子路曰。願聞子之志。子曰。老者安之。朋友信之少者懷之。

子曰。已矣乎。吾未見能見其過。而内自訟者也。

子曰。十室之邑。必有忠信如丘者焉。不如丘之好學也。

読 み

公冶長第五(こうやちょう)

(し)、公冶長(こうやちょう)を謂(い)う。妻(めあ)わす可(べ)きなり。縲絏(るいせん)の中(うち)に在(あ)りと雖(いえど)も其(そ)の罪(つみ)に非(あら)ざるなり。其(そ)の子(こ)を以(もつ)て之(これ)に妻(めあ)わす。子(し)、南容(なんよう)を謂(い)う。邦(くに)(みち)(あ)れば廃(す)てられず。邦(くに)(みち)(な)きも刑戮(けいりく)を免(まぬが)る。其(そ)の兄(あに)の子(こ)を以(もつ)て之(これ)に妻(めあ)わす。

(し)、子賤(しせん)を謂(い)う。君子(くんし)の若(ごと)き人(ひと)。魯(ろ)に君子(くんし)(な)くば、斯(こ)れ焉(いずく)んぞ斯(これ)を取(と)らん。
子貢(しこう)(と)うて曰(いわ)く、賜(し)や何如(いかん)。子(し)(いわ)く、女(なんじ)は器(き)なり。曰(いわ)く、何(なん)の器(き)ぞ。曰(いわ)く、瑚璉(これん)なり。

(ある)ひと曰(いわ)く、雍(よう)は仁(じん)にして佞(わい)ならず。子(し)(いわ)く、焉(いずく)んぞ佞(わい)を用いん。人(ひと)に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以(もつ)てせば、屢(しばしば)(ひと)に憎(にく)まる。其(そ)の仁(じん)を知(し)らず。焉(いずく)んぞ佞(わい)を用(もち)いん。

(し)、漆雕開(しっちょうかい)をして仕(つか)えしめんとす。対(こた)えて曰(いわ)く、吾(われ)(これ)を之(こ)れ未(いま)だ信(しん)ずるに能(あた)わず。子(し)(よろこ)ぶ。

(し)(いわ)く、道(みち)(おこな)われず。桴(いかだ)に乗(の)りて海(うみ)に浮(う)かばん。我(われ)に従(したが)う者(もの)は、其(そ)れ由(ゆう)か。子路(しろ)(こ)れを聞(き)き喜(よろこ)ぶ。子(し)(いわ)く、由(ゆう)や勇(ゆう)を好(この)むこと我(われ)に過(す)ぐ。取(と)り材(はか)る所(ところ)(な)し。

孟武伯(もうぶはく)(と)う。子路(しろ)(じん)なりや。子(し)(いわ)く、知(し)らざるなり。又(また)(と)う。子(し)(いわ)く。由(ゆう)は千乗(せんじょう)の国(くに)(そ)の賦(ふ)を治(おさ)めしむ可(べ)し。其(そ)の仁(じん)を知(し)らざるなり。求(きゅう)は何如(いかん)。子(し)(いわ)く。求(きゅう)は千室(せんしつ)の邑(ゆう)、百乗(ひゃくじょう)の家(いえ)、之(これ)が宰(さい)たらしむ可(べ)し。其(そ)の仁(じん)を知(し)らざるなり。赤(せき)は何如(いかん)。子(し)(いわ)く。赤(せき)は束帯(そくたい)して朝(ちょう)に立(た)ち、賓客(ひんかく)と言(い)はしむ可(べ)し。其(そ)の仁(じん)を知(し)らず。

(し)、子貢(しこう)に謂(い)って曰(いわ)く、女(なんじ)(かい)と孰(いず)れか愈(まさ)れる。対(こた)えて曰(いわ)く。賜(し)は何(なん)ぞ敢(あ)えて回(かい)を望(のぞ)まん。回(かい)は一(いち)を聞(き)きて以(もつ)て十(じゅう)を知(し)る。賜(し)は一(いち)を聞(き)きて二(に)を知(し)る。子(し)(いわ)く。如(し)かざるなり。吾(われ)(なんじ)が如(し)かざるを与(ゆ)るす。

宰予(さいよ)昼寝(ひるね)たり。子(し)(いわ)く。朽(く)ちたる木(き)は雕(え)る可(べ)からず。糞土(ふんど)の牆(しょう)は、杇(お)す可(べ)からず。予(よ)に於(お)いてか何(なん)ぞ誅(せ)めん。子(し)(いわ)く。始(はじ)め吾(われ)(ひと)に於(お)けるや、其(そ)の言(げん)を聴(き)きて、其(そ)の行(おこな)いを信(しん)ず。今(いま)(われ)(ひと)に於(お)けるや、其(そ)の言(げん)を聴(き)きて其(そ)の行(おこな)いを観(み)る。予(よ)に於(お)いてか是(これ)を改(あらた)めん。

(し)(いわ)く。吾(われ)(いま)だ剛者(ごうしゃ)を見(み)ず。或(ある)ひと対(こた)えて曰(いわ)く。申棖(しんとう)と。子(し)(いわ)く。棖(とう)は慾(よく)なり。焉(いずく)んぞ剛(ごう)なるを得(え)ん。

子貢(しこう)(いわ)く。我(われ)(ひと)の諸(これ)を我(われ)に加(くわ)えんことを欲(ほつ)せず。吾(われ)も亦(また)(これ)を人(ひと)に加(くわ)うること無(な)からんと欲(ほつ)す。子(し)(いわ)く。賜(し)や、爾(なんじ)が及(およ)ぶ所(ところ)に非(あら)ざるなり。

子貢(しこう)(いわ)く。夫子(ふうし)の文章(ぶんしょう)、得(え)て聞(き)く可(べ)し。夫子(ふうし)の性(せい)と天道(てんどう)とを言(い)うは、得(え)て聞(き)く可(べ)からず。

子路(しろ)(き)くこと有(あ)りて、未(いま)だ之(これ)を行(おこな)う能(あた)わず、唯(た)だ聞(き)くこと有(あ)らんことを恐(おそ)る。

子貢(しこう)(と)うて曰(いわ)く。孔文子(こうぶんし)(なに)(もつ)て之(これ)を文(ぶん)と謂(い)うや。子(し)(いわ)く。敏(びん)にして学(がく)を好(この)み、下問(かもん)を恥(はじ)ず。是(こ)れ以(もつ)て之(これ)を文(ぶん)と謂(い)うなり。

(し)、子産(しさん)を謂(い)う。君子(くんし)の道(みち)(よつ)つ有(あ)り。其(そ)の己(おのれ)を行(おこな)うや恭(きょう)なり。其(そ)の上(かみ)に事(つか)うるや敬(けい)なり。其(そ)の民(たみ)を養(やしな)うや恵(けい)なり。其(そ)の民(たみ)を使(つか)うや義(ぎ)なり。

(し)(いわ)く。晏平仲(あんぺいちゅう)(よ)く人(ひと)と交(まじ)わり、久(ひさ)しくして之(これ)を敬(けい)す。

(し)(いわ)く。臧文仲(ぞうぶんちゅう)(さい)を居(お)けり。節(せつ)に山(やま)して、梲(せつ)に藻(も)せり。何如(いかん)ぞ其(そ)れ知(ち)ならん。

子張(しちょう)(と)うて曰(いわ)く。令尹(れいいん)子文(しぶん)、三(み)たび仕(つか)えて令尹(れいいん)と為(な)るも喜色(きしょく)(な)し。三(み)たび之(これ)を已(や)めらるるも慍色(うんしょく)(な)し。旧令尹(きゅうれいいん)の政(まつりごと)は、必(かなら)ず以(もつ)て新令尹(しんれいいん)に告(つ)ぐ。何如(いかん)。子(し)(いわ)く。忠(ちゅう)なり。曰(いわ)く。仁(じん)なるか。曰(いわ)く。未(いま)だ知(し)らず。焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。崔子(さいし)、斉(せい)の君(きみ)を弑(しい)す。陳文子(ちんぶんし)、馬(うま)十乗(じゅうじょう)(あ)れども、棄(す)てて之(これ)を違(き)る。他邦(たほう)に至(いた)りて則(すなわ)ち曰(いわ)く、猶(な)お吾(わ)が大夫崔子(たいふさいし)のごとしか。之(これ)を違(き)る。一邦(いつぽう)に之(ゆ)きて、則(すなわ)ち又(また)(いわ)く。猶(な)お吾(わ)が大夫崔子(たいふさいし)のごとしか。之(これ)を違(き)る。何如(いかん)。子(し)(いわ)く。清(せい)なり。曰(いわ)く、仁(じん)なるか。曰(いわ)く。未(いま)だ知(し)らず。焉(いずく)んぞ仁(じん)なるを得(え)ん。

季文子(きぶんし)、三(み)たび思(おも)うて後(のち)に行(おこな)う。子(し)、之(これ)を聞(き)き曰(いわ)く。再(ふたた)びせば斯(こ)れ可(か)なり。

(し)(いわ)く。寗武子(ねいぶし)、邦(くに)に道(みち)(あ)れば則(すなわ)ち知(ち)なり。邦(くに)に道(みち)(な)ければ則(すなわ)ち愚(ぐ)なり。其(そ)の知(ち)は及(およ)ぶ可(べ)きも、其(そ)の愚(ぐ)には及(およ)ぶ可(べ)からず。

(し)、陳(ちん)に在(あ)りて曰(いわ)く。帰(かえ)らんか、帰(かえ)らんか。吾(わ)が党(とう)の小子(しょうし)、狂簡(きょうかん)にして斐然(ひぜん)として章(しょう)を成(な)す。之(これ)を栽(さい)する所以(ゆえん)を知(し)らず。

(し)(いわ)く。伯夷叔齊(はくいしゅくせい)、旧悪(きゅうあく)を念(おも)わず。怨(うらみ)(ここ)を以(もつ)て希(き)なり。

(し)(いわ)く。孰(た)れか微生高(びせいこう)を直(ちょく)なりと謂(い)う。或(ある)ひと醯(す)を乞(こ)う。諸(こ)れを其(そ)の隣(となり)に乞(こ)うて之(こ)れに与(あた)う。

(し)(いわ)く。巧言令色(こうげんれいしょく)、足恭(すうきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)(これ)を恥(は)ず。丘(きゅう)(また)(これ)を恥(は)ず。怨(うらみ)を匿(かく)して其(そ)の人(ひと)を友(とも)とするは、左丘明(さきゅうめい)(これ)を恥(は)ず。丘(きゅう)(また)(これ)を恥(は)ず。

顏淵(がんえん)季路(きろ)(じ)す。子(し)(いわ)く。各(おのおの)(なんじ)の志(こころざし)を言(い)うは盍(なん)ぞ。子路(しろ)(いわ)く。願(ねが)はくは車馬衣軽裘(しゃばいけいきゅう)を、朋友(ほうゆう)と共(とも)に、之(これ)を敝(やぶ)りて憾(うらみ)(な)し。顏淵(がんえん)(いわ)く。願(ねが)わくは善(ぜん)に伐(ほこ)ること無(な)けん。労(ろう)を施(おお)すこと無(な)し。子路(しろ)(いわ)く。願(ねが)わくは子(し)の志(こころざし)を聞(き)かん。子(し)(いわ)く。老者(ろうしゃ)(これ)に安(やす)んぜられ、朋友(ほうゆう)(これ)に信(しん)ぜられ、少者(しょうしゃ)(これ)に懐(なつか)われん。

(し)(いわ)く。已(や)みなん。吾(われ)(いま)だ能(よ)く其(そ)の過(あやま)ちを見(み)て内(うち)に自(みずか)ら訟(せ)むる者(もの)を見(み)ず。

(し)(いわ)く。十室(じつしつ)の邑(ゆう)、必(かなら)ず忠信(ちゅうしん)なること丘(きゅう)の如(ごと)き者(もの)(あ)らん。丘(きゅう)の学(がく)を好(この)むに如(し)かず。

0 件のコメント:

コメントを投稿