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題して、「古典を読もう」
主に、中国古典を取り上げ、その読み物として掲載していきたいと思います。
最近では、日経ビジネスに「明治の男に学ぶ中国古典」という特集もありました。また、我々が、日頃使っている単語、四字熟語なども、その出典が中国古典であることは珍しくありません。
なお、普段あまり読むことのない書物ばかりを取り上げることになると思いますが、教養としてばかりでなく、文化的、あるいは一服の清涼剤として、ぜひ、この機会に古典に触れて頂ければと思います。
まずは、最初は、四書の一つである「大學」を取り上げます。この書物は、昔、小学校等に多くあった「二宮尊徳」像が読んでいる書物でもあります。
「大學と四書」、大學の内容である「大學章句序」、「朱熹章句」に関しては、HITP 文書ライブラリWeb版を参照してもらうこととして、ブログ版では、いきなり本文である「經一章」から読んでいきたいと思います。
經一章
原 文
大學之道。在明明德。在親民。在止於至善。
知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得。
物有本末。事有終始。知所先後則近道矣。
古之欲明明德於天下者。先治其國。欲治其國者。先齊其家。欲齊其家者。先脩其身。欲脩其身者。先正其心。欲正其心者。先誠其意。欲誠其意。先致其知。致知在格物。
物格而后知至。知至而后意誠。意誠而后心正。心正而后身脩。身脩而后家齊。家齊而后國治。國治而后天下平。
自天子以至於庶人。壹是皆以脩身爲本。
其本亂而末治者否矣。其所厚者薄而其所薄者厚未之有也。
右經一章。蓋孔子之言。而曾子述之。其傳十章。則曾子之意。而門人記之也。舊本頗有錯簡。今因程子所定。而更考經文別爲序次如左。
読 み
経一章(けいいつしょう)
大学(だいがく)の道(みち)は、明徳(めいとく)を明(あき)らかにするに在(あ)り。民(たみ)を親(あら)たにするに在(あ)り。至善(しぜん)に止(とど)まるに在(あ)り。
止(とど)まるを知(し)りて后(のち)に定(さだ)まること有(あ)り。定(さだ)まりて后(のち)に能(よく)く静(しず)かなり。静(しず)かにして后(のち)に能(よ)く安(やす)くし。安(やす)くして后(のち)に能(よ)く慮(おもんばか)る。慮(おもんばか)りて后(のち)に能(よ)く得(う)。
物(もの)に本末(ほんまつ)有(あ)り。事(こと)に終始(しゅうし)有(あ)り。先後(せんこう)する所(ところ)を知(し)れば、則(すなわ)ち道(みち)に近(ちか)し。
古(いにしえ)の明徳(めいとく)を明(あき)らかにせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の国(くに)を治(おさ)む。其(そ)の国(くに)を治(おさ)めんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)う。其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)えんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の身(み)を修(おさ)む。其(そ)の身(み)を修(おさ)めんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくす。其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の意(い)を誠(まこと)にす。其(そ)の意(い)を誠(まこと)にせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の知(ち)を致(いた)す。知(ち)を致(いた)すは、物(もの)に格(いた)るに在(あ)り。
物(もの)に格(いた)りて后(のち)に知(ち)至(いた)る。知(ち)至(いた)りて后(のち)に意(い)誠(まこと)なり。意(い)誠(まこと)にして后(のち)に心(こころ)正(ただ)し。心(こころ)正(ただ)しくして后(のち)に身(み)修(おさ)まる。身(み)修(おさ)まりて后(のち)に家(いえ)斉(ととの)う。家(いえ)斉(ととの)いて后(のち)に国(くに)治(おさ)まる。国(くに)治(おさ)まりて后(のち)に天下(てんか)平(たいら)かなり。
天子(てんし)自(よ)り以(もつ)て庶人(しょじん)に至(いた)るまで、壱是(いつし)に皆(みな)身(み)を修(おさ)むるを以(もつ)て本(もと)と為(な)す。
其(そ)の本(もと)乱(みだ)れて末(すえ)治(おさ)まる者(もの)は否(あら)ず。其(そ)の厚(あつ)くする所(ところ)の者(もの)は薄(うす)くして、其(そ)の薄(うす)くする所(ところ)の者(もの)は厚(あつ)きことは、未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり。
右(みぎ)経一章(けいいつしょう)、蓋(けだ)し孔子(こうし)の言(げん)にして、曾子(そうし)之(これ)を述(の)ぶ。其(そ)の伝十章(でんじつしょう)、則(すなわ)ち曾子(そうし)の意(い)にして、門人(もんじん)之(これ)を記(しる)せるなり。旧本(きゅうほん)頗(すこぶ)る錯簡(さくかん)有(あ)り。今(いま)程子(ていし)の定(さだ)むる所(ところ)に因(よ)りて、更(さら)に経文(けいぶん)を考(かんが)え、別(べつ)に序次(じょじ)を為(な)すこと左(さ)の如(ごと)し。
大学(だいがく)の道(みち)は、明徳(めいとく)を明(あき)らかにするに在(あ)り。民(たみ)を親(あら)たにするに在(あ)り。至善(しぜん)に止(とど)まるに在(あ)り。
止(とど)まるを知(し)りて后(のち)に定(さだ)まること有(あ)り。定(さだ)まりて后(のち)に能(よく)く静(しず)かなり。静(しず)かにして后(のち)に能(よ)く安(やす)くし。安(やす)くして后(のち)に能(よ)く慮(おもんばか)る。慮(おもんばか)りて后(のち)に能(よ)く得(う)。
物(もの)に本末(ほんまつ)有(あ)り。事(こと)に終始(しゅうし)有(あ)り。先後(せんこう)する所(ところ)を知(し)れば、則(すなわ)ち道(みち)に近(ちか)し。
古(いにしえ)の明徳(めいとく)を明(あき)らかにせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の国(くに)を治(おさ)む。其(そ)の国(くに)を治(おさ)めんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)う。其(そ)の家(いえ)を斉(ととの)えんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の身(み)を修(おさ)む。其(そ)の身(み)を修(おさ)めんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくす。其(そ)の心(こころ)を正(ただ)しくせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の意(い)を誠(まこと)にす。其(そ)の意(い)を誠(まこと)にせんと欲(ほつ)する者(もの)は、先(ま)ず其(そ)の知(ち)を致(いた)す。知(ち)を致(いた)すは、物(もの)に格(いた)るに在(あ)り。
物(もの)に格(いた)りて后(のち)に知(ち)至(いた)る。知(ち)至(いた)りて后(のち)に意(い)誠(まこと)なり。意(い)誠(まこと)にして后(のち)に心(こころ)正(ただ)し。心(こころ)正(ただ)しくして后(のち)に身(み)修(おさ)まる。身(み)修(おさ)まりて后(のち)に家(いえ)斉(ととの)う。家(いえ)斉(ととの)いて后(のち)に国(くに)治(おさ)まる。国(くに)治(おさ)まりて后(のち)に天下(てんか)平(たいら)かなり。
天子(てんし)自(よ)り以(もつ)て庶人(しょじん)に至(いた)るまで、壱是(いつし)に皆(みな)身(み)を修(おさ)むるを以(もつ)て本(もと)と為(な)す。
其(そ)の本(もと)乱(みだ)れて末(すえ)治(おさ)まる者(もの)は否(あら)ず。其(そ)の厚(あつ)くする所(ところ)の者(もの)は薄(うす)くして、其(そ)の薄(うす)くする所(ところ)の者(もの)は厚(あつ)きことは、未(いま)だ之(こ)れ有(あ)らざるなり。
右(みぎ)経一章(けいいつしょう)、蓋(けだ)し孔子(こうし)の言(げん)にして、曾子(そうし)之(これ)を述(の)ぶ。其(そ)の伝十章(でんじつしょう)、則(すなわ)ち曾子(そうし)の意(い)にして、門人(もんじん)之(これ)を記(しる)せるなり。旧本(きゅうほん)頗(すこぶ)る錯簡(さくかん)有(あ)り。今(いま)程子(ていし)の定(さだ)むる所(ところ)に因(よ)りて、更(さら)に経文(けいぶん)を考(かんが)え、別(べつ)に序次(じょじ)を為(な)すこと左(さ)の如(ごと)し。
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